民事(家・男女・金)

弁論主義とは

裁判所と当事者の裁判での役割分担

 訴訟が始まり、訴訟が終わるまで、いろんな局面があり、その都度において、誰が訴訟の進行を行い、どのような契機で訴訟が始まったり終わったりするのかのキャスティングを担うのかが絶えず問題となります。

 民事の世界では、権利義務は自己で実現することが中心であり、その大部分に私的自治の原則が働くため、裁判所は、行政が行う積極的ないろんな事象や作用への介入することは限られており、ほとんどが当事者に委ねられています。

訴訟の進行役としての裁判所

 訴訟手続を進行させるにあたり、適正で迅速な訴訟の運営をするために裁判所が主導的に訴訟進行させる職権進行主義を採用し、裁判所が訴訟を指揮する権限を有しています。裁判所が訴訟指揮権を行使して、訴訟の運営全体を行っています。

私的自治のが民事訴訟手続の中で出現する処分権主義

 訴訟の開始、終了、裁判の対象をどのように設定するかについて当事者は自由に決めることができます。

 私的自治の原則がある民事の世界では、権利について、どう管理して、どう処分するか、私的自治の原則がある以上は、民事訴訟手続においても、その原則が当然に貫かれています。

 そのことを、民事訴訟では、処分権主義といっております。処分権主義の内容としては、当事者からの申立がないと訴訟は開始されず、いつでも開始された訴訟を取り下げることができ、和解や認諾や放棄をすることも自由です。

 裁判所も、当事者が設定した裁判の対象を超えて審理をすることはできず、絶えず、その範囲内での審理だけをすることが要請されています。

訴訟資料収集は当事者どこまでやるのか(弁論主義)

 私的自治の原則からすると、判決に向けた手続の中で、判決の基礎となる訴訟のために資料を収集し、それを裁判所に提出する権利や行動を自由に認め、それにより被る影響や責任についても当事者へ負わせることを弁論主義という根拠で認めています。

 弁論主義により当事者に権能を認めることは、私的自治の原則から当然であり、真実発見にも役立ち、職権で進めて当事者の不意打ち防止にもつながることが、弁論主義が認められる根拠であると考えられています。

 弁論主義と逆の考え方としては、裁判所も資料の収集や資料の提出の権能が認められる職権探知主義があります。

 また、公益的要請が強い、訴訟要件の判断、強行法規を順守しているか、適用される法律はなにかという事項や、その他訴訟の各場面で判断を要する事項について、裁判所が職権で勝手に判断していいことを職権調査事項といいます。

 反面、当事者の申立や異議があって初めて、裁判所による判断ができるとする抗弁事項という概念もあり、それらの各事項がどちらかについては、法律や規則によって決められています。

弁論主義により裁判所が影響をうける部分

 訴訟資料を収集について、弁論主義が適用されると、訴訟の各場面では崩せない前提をもとに、弁論主義を裁判所としても順守していく必要が生じてきます。

 その前提には、大きく3つの前提があるとされています。

①裁判所は、当事者が主張していない事実を判決の基礎としてはいけないとされています。このことを審判排除効といいます。

 そのため、逆に当事者が主張しないと、いくら審理で判明した事項であっても、証拠の中に現れていても、判決の基礎にもならないことになります。ただ、原告と被告に関わらず当事者のいずれかが主張すれば足ります。

②裁判所は、当事者に争いのない事実は必ず判決の基礎にしなければなりません(これを自白の拘束力と言います)。

 当事者に争いのある事項は裁判所が証拠によって判断しますが、争いのない事項は証拠調べもせずに判決に基礎にできます。

③争いのある事項は、証拠によって認定しますが、その証拠は当事者が調べてほしいと申し出た証拠によらなければいけません。

 このことは、職権証拠調べの禁止と言われておりますが、訴訟要件に関する事項や人事訴訟や公益的要請が大きい分野では職権証拠調べは禁止されておりません。

 以上をもとに、当事者が積極的に主張すべき、弁論主義が適用される事実は、権利の発生や変更、消滅という効果を直接判断する事実(主要事実)に限られており、周辺事実や状況から推認される事実などには適用がなく、当事者の主張がなくてもいいとされています。