刑事責任の本質論
犯罪者の行為について、その行為に対して非難できることが刑法上において責任があることだとされています。
責任を問うためには、行為者に対して非難することが可能であるかによることになりますが、その責任の根拠について刑法の学説上は、道義的な非難をするためであるとか、行為者の性格が社会的危険性であるとか、人間は素質と環境によって影響を受けながら人格の形成を行い、その人格により犯罪が現実化されたのであり、人格形成に責任があるからだとする説など施設があります。
いずれにせよ、現行法は、犯罪が成立するためには、責任というものが認められて初めて刑罰を科すことができる責任主義を採用していることになりなります。
責任能力とは
前述のように、日本の刑法は責任主義を採用していることは明白です。
犯罪者の犯罪行為について責任について非難をするためには、行為者については、少なくとも責任を追求できる最低限の責任能力が必要となります。
そこで、刑法は責任能力について39条1項が、次のように規定しています。
犯罪をした行為者が、精神の障害により事柄の是非や善悪を判断する能力(是非弁識能力といいます)がない者(心神喪失者)については罰せず、判断することは正常にできる状態ではあるが、判断に従って行動を制御する能力(制御能力)がない状態の者(精神の障害により1項の能力が著しく減退した心神耗弱者)については、その刑を減軽することにして、責任能力がない者の刑の減軽を規律しています。
心神喪失・耗弱の判断は、刑事事件を担当する裁判所を構成する担当裁判官が生物学的・心理学的要件を考慮して判断することになります。
基本的には精神に障害によって、心神喪失や心神耗弱状態に陥っている必要がありますので、精神に障害がない場合には、心神喪失・心神耗弱とは認められません。
是非弁識能力と制御能力はいずれか一方が欠けているか、減退していれば、双方が欠けていたり後退していたりする必要はありません。
さらに、刑法41条は、14歳以下の刑事未成年については、処罰を差し控えることが適当であるという刑事政策上および少年の健全育成を図る少年を政策上の観点から、刑事未成年については、罰しないとしています。