憲法・行政

法律上の争訟とは

裁判所での審理の要件「法律上の争訟」とは

 権力分立のもとで、国会は立法権を、内閣は行政権を、裁判所は司法権というものをそれぞれ行使しています。

 裁判所の司法権は、それを裁判所が行使して具体的な事件について日々判断しています。

 では、裁判所が行使する司法権の「司法」とは、いったいどういった意味を含む概念なのでしょうか。

 裁判所が行使する司法権とは、まず、裁判所法3条1項に規定があります。同条項では「裁判所は、日本国憲法に特別の定めのある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判」すると定められています。

 そして、判例も、法律上の争訟について、「具体的な争訟について、法を適用し宣言することで、これを裁定する国家の作用」と解釈されています。

 その「法律上の争訟」の具体的な意味としては、

①当事者間の具体的な権利義務・法律関係の存否に関する紛争であり

②それが、法律を適用することにより最終的に解決することができるものに限られる

と解され運用されています。

 そこで、具体的に「法律上の争訟」に該当するかどうかについて判断した判例を見ていきたいと思います。判例は、裁判所の審査権が及ばない事例をあげています。

具体的な事件としての性質を有しない訴え

 具体的な事件になっていない訴え、具体的に権利の侵害が生じていないような訴え、抽象的な法解釈や法の効力について争う訴えは、法律上の争訟に当たらないとされており、裁判所の審理の対象にならないとされています。

 例えば、警察予備隊設置の違憲性を争った事件について、単に抽象的な法の解釈を争うものとして、訴えが却下されています(最高裁判例:昭和27年10月8日)。

 ただ、公職選挙法(公職選挙法203条、204条の選挙訴訟)や地方自治法(地方自治法242条の住民訴訟)のような民衆訴訟と言われる制度は、法律で例外的に、具体的事件性を前提とせずに出訴できる制度を設けている場合があります。 

単なる事実確認、個人の意見の当否、学問・技術上の論争の訴え

 法律を適用して最終的に問題を解決できる部類のものではないとして、法律上の争訟には該当せず、裁判所の審理の対象にならないとしています。

 例えば、国家試験の合否判定は、学問・技術上の知識、能力、意見の優劣の判断を内容とする行為であり、試験実施機関の最終判断に委ねられるものなので、法律上の争訟には当たらない(最高裁判例:昭和41年2月8日)としています。

信仰対象の価値、宗教上の教義の判断を求める訴え

 信仰の対象の価値や宗教上の教義に関する判断を求める訴え、住職たる地位などの宗教上の地位の確認の訴えは、具体的な法律関係に関する問題ではなく、法律により最終的に解決できるものではないため、法律上の争訟には該当せず裁判所の審理の対象にならないとしています。

 判例は、その理由として、形式的に、当事者間の権利義務や法律関係に関する紛争でも、前提条件として、信仰や宗教上の教義に裁判所が立ち入って判断しなければならない場合は、法律を適用して最終的に解決することができないので、判例も法律上の争訟に該当しないとしています。(最高裁判例:昭和56年4月7日)

司法審査の限界

 裁判所も、法律上の争訟であれは司法審査に入ることになりますが、この原則にも限界があり、次のような例外があります。

★憲法上の限界
 国会議員の資格争訟の裁判や弾劾裁判は、憲法が規定する例外にあたるため、司法権は及びません。

★国際法上の限界
 外国の治外法権や条約による裁判権に制限がある場合は、司法権は及びません。

★自律権
 国会や内閣などの各機関の内部的規律により自律権に基づく、懲罰や議事内容には、各機関の自律権を尊重する趣旨から司法権は及びません。また、国会や内閣は政治的な機関の行為は、ある程度の自由な裁量に基づき行われるものであり、自由な裁量権の著しい逸脱や濫用のない場合に限って司法権が及びます。

★統治行為の理論
 直接国家が統治のためにする統治行為は、高度に政治性のある行為として、性質上、司法審査の対象から除外されると解されています。

★部分社会の法理
 自律的な規律がある、社会や団体における紛争は、内部的な規律で処理できる問題にとどまっている限りは、その問題解決は、司法審査ではなく、自律的な処理に任せ、司法審査が及ばないとするものです。